高校の同級生にK君という人物がいた。
K君は開成中学出身で1年と3年のとき同じクラスであった。
長い間K君の「転校」については疑問に思っていた。
なぜ開成をやめてまで別の高校に来たのかと。
普通開成に入ったら「やめる」ことなど考えられないからだ。特に大学受験を最終目標として考えた場合には。
疑問には感じたものの、「そのこと」について直接K君に訊ねることはなかった。高校生くらいの年代では普通そういった立ちいった事は訊かないものだし、自分にも「過去」があったからだ。
K君の「秘密」が暴露されるのにそれほど時間はかからなかった。しかもそれは偶然やってきた。
大学入試には失敗したものの、駿台には見事「合格」し、「前文」というクラスに籍をおくことになったが、
お昼休みの時に開成の3人組が陣取っていたので訊いてみた。
「Kって知ってる」
3人組の中のSが答えた。
「知ってるよ」
「どうして開成高校に行かないで別の高校に行ったの、Kは」
「開成はね、中学から高校にあがる時厳しくて、
成績が悪いともう一度中学3年をやらなくちゃならないんだ。
でも別の高校に行く場合は卒業させてくれるんだよ」
しばらくの沈黙の後に、3人組の中の一人Kが言い足した。
「あいつ、頭はキレルよな」
彼らのひとことでわかったような気がした、
Kの、あの高1の時の「荒れかた」の理由(わけ)が。
きみたちのクラスの中にも、「つっぱってる」とか「荒れている」人っていると思うけど、
このK君の場合は"けた違い"だったね。
Kの「つっぱり」というのは、要するに教師に「逆らう」ことなんだけど、その「逆らいかた」が並ではなかった。いろいろな人をみてきたが、その中でも出色だね、、このKは。
生物の時間の時、採点が終わった答案が生徒一人ひとりに返されたことがあった。
その時、生物のK先生(この先生も普通一般の先生とは全然違うひと。元大学講師で話のスケールが大きい。Kのすったもんだは殆どこのK先生がらみ)が大きな声で言い放った。
「97 98 99なんてのは100点と同じだから、
100点やった」
この言が終わるや否や、後ろのほうから教師のKにつめ寄る者があった。Kだ。
「何でこれ94点なんですか」
かなり不満そうだったね、Kは。
「
ばかもの! おまえは94だから94なんだ!」
「文句あるか!」という言葉が続いていたかどうかは今となっては定かではないが、
とにかく教師Kの怒声が教室中に鳴り響いた。
さすがのKも、K先生の剣幕に圧倒されてしぶしぶ引き下がったが、これは恐らく1年生の1学期のことだと思うから、よけいはっきり覚えている。
ちなみにこのとき100点もらったのが、他ならぬ「太祖ヌルハチ」である。
いちど97(だったと思うが98かも知れない)と書いて、上に100と書き直してあった。
この「94点事件」は、Kの数ある「武勇伝」のうちの一つに過ぎない。
ざっと思い起こしただけでも、
「スリッパ事件」 「ひざ蹴り事件(Kが教師にくらった)」 「窓閉め事件」
「おはようございます事件」
等々、枚挙に暇がないが、今回は「94点」だけに止めておく。
書き足すことも考えているが、このサイトをみんなが見てくれないと元気も出ないので、応援のほうよろしく。何回か見てね、新しい発見があるかもね、2度3度見ると。
勉強も同じだからね、何度もくりかえす。反復学習によって学力があがるのよ。
この反復勉強を辛抱強く継続できるかどうかで、学校の成績や偏差値は決まってしまうからね。
成績のいい人というのはこの反復勉強法が習慣になっている人のことで、こういった勉強法を継続してできているから成績がよくなっているに過ぎない。
それだけ勉強における反復継続というものは大事なものなんだ。
こんなことばっかり書いているとKに文句言われちゃうんじゃないかと心配する人がいるかもしれないけど、それはないんだよね。いないんだよ、もう、Kは。
K君が死んだという電話がMから入ったのは25歳の時だった。突然の訃報であった。
居眠り運転でガードレールに激突したらしい。即死だったそうだ。
通夜の日、はじめてKの母親にあったが、その時はじめてKは母親似である事がわかった。
端正な顔立ちの美しい人で、その特徴はKにも受け継がれていた。Kは一人息子だった。
ここでなぜK君のことを話したかというと、人間はこの世に生をうけたかぎり自分の命は大切にしなければいけないという事を言いたかったからだ。
Kは大学を卒業した後、会社勤めをしながらお好み焼きかなんかの店を経営していたらしい。いわゆる二足のわらじだ。
恐らくその無理がたったって、居眠り運転のようなことになったのだと思う。
なぜそこまでする必要があったのかと考えることがあった。お金儲けに執着するようなかんじではなかったし。
ただ一つ思い当たることがあった。
Kは小学生のころはいわゆる「偏差値秀才」であった。ヌルハチが学校を休んでいる間、Kは四谷進学に通って一生懸命受験勉強していたのだ。
中学で脱落したものの、心の片隅のどこかに過去の栄光のかけらのようなものが残っていて、開成からT大へ行ったであろうかつての同級生には負けたくないという気持ちがあったのだろうと思う。
通夜のときKの母親は泣いていたが、いくらなんでも25歳は早すぎる。
遺影のKの顔は高校当時よりふっくらした感じになっていたが、Kを想うときその顔で思い起こすことはない。
最後にKにあったのは御茶ノ水駅の近くだ。
「おまえ、まだこんなとこ通ってんのかよ」
これが予備校に通っていたヌルハチと、Kとの最後の会話であった。
若くして逝ったKではあるが、「Kはいいなあ」と思うことが一つだけある。
Kは絶対に年をとらない。若くして亡くなった人はみなそうだ。
北畠顕家、ジェームス・ディーン、赤木圭一郎。
この人たちはいつまでたっても年をとることは絶対にない。永遠に。
Kを想うとき、浮かぶのは高校時代とこの時の彼の姿であり、それ以上でもそれ以下でもない。
この時の姿以上に彼が年をとることは永遠にない。